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(写真展開催)

Dm 

写真展:saw the LIGHT
会 場:キヤノンギャラリー銀座
期 間:2022年9月20日(火)~10月1日(土)
(☆日、月、祝日はお休みです)
*以下、キヤノンギャラリー銀座Webより*
本展は、「写真」と「ことば」の化学反応を楽しむ写真展です。
猪俣肇氏が約10年の間に撮りためてきた日々のスナップを、氏が紡いだ「ことば」とともに展示します。
氏自身の記憶に焼き付いている数々の「写真」と「ことば」。
個別の記憶として別々にしまいこまれていた「写真」と「ことば」を同じ空間に並べたとき、それらはどう響き合い、見る者の心にはどんな思いが去来するのでしょうか――。
ぜひ会場に確かめに来てください。
◯Prize
【2010】
・第10回リコーフォトコンテスト:リコーフォトコンテスト10回記念特別賞受賞
【2012】
・2011日本カメラフォトコンテスト(モノクロプリント部門):年度賞 第3位
◯Exhibition
【2012】
・「Living with photography」写真とともに生きる
  (instyle photography center:2012/4/17~29)
・「Christmas photography show 2012」
  (instyle photography center:2012/12/18~24)
・ある断片「some fragments of my chart」
  (blitz gallery:art photo site online gallery:2012/9/1~2013/8/31)
【2013】
・猪俣 肇 写真展: 消えない残響:a case of Manhattan(キヤノンギャラリー銀座・福岡・梅田・名古屋:2013/5〜2013/7
https://canon.jp/.../gallery/archive/inomata-manhattan
【2015】
・猪俣 肇 写真展 :あの日から今日、今日からあの日へ(リコーイメージングスクエア新宿:2015/3/11〜23)
https://www.ricoh-imaging.co.jp/.../2015/03/20150311.html
【2017】
・猪俣 肇 写真展:「something-invisible」(Epson imaging gallery epSITE:2017/8/17〜2017/9/7)スポットライト制度対象展
https://www.epson.jp/.../spotlight/spotlight_20170630.htm

(ホームページ)
Hajime Inomata Photography

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October 02, 2022

写真展: saw the LIGHT 終了しました。ありがとうございました。

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猪俣 肇 写真展:saw the LIGHT 終了しました。


たくさんの方に足を運んでいただきました。
平日で100人前後、土曜日は150人前後、
概ね1,000人超の方にいらしていただいたと思います。
2度の台風による荒天、コロナ禍の影響がある中、想像をはるかに超えるみなさまにお越しいただきました。

心より感謝申し上げます。


ご存知のように、コロナ禍もあり、この数年、普通に会えていた人に会えなくなりました。
今回の写真展のおかげで、たくさんの友人・知人とお話することができました。
SNSで様子がわかっていても、実際に面と向かって話をすることのありがたさに気がつきました。
どうかマスク無しで気持ちよく過ごせる日が来るようにと祈るばかりです。


今回の展示期間中、写真関係の方々と素晴らしい交流をさせていただきました。
尊敬する写真家の先生に展示会場までご足労いただき、じっくりと写真の話をしていただきました。夢のような時間でした。
展示初日に初めてお目にかかった写真家の先生が、SNSなどで、何度も私の展示を紹介してくださいました。応援してくださった先生のまっすぐな心に、夫婦で涙しました。
また、第一線の写真評論家の方々に、私の展示を見ていただく機会がありました。貴重なアドバイスをいただきました。


今回の展示は終了しましたが、この写真展が今までとは違う景色を私に見せてくれる予感がしています。
その景色を見ることができるよう、これからもしっかりと写真に向き合いたいと思います。

引き続きよろしくお願いいたします。

2022年10月2日(日)  猪俣 肇

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October 01, 2022

最終日

最終日となりました。
よい天気になりそうです。
写真展の準備がほぼ終わった8月下旬の週末、朝早く起きて散歩に出かけました。
途中、どうしてもプリンが食べたくなり、駅西口にあるカフェへ。プリンを前にした妻が、唐突に言いました。
”今度の写真展はうまくいきそうな気がする。”
その時は半信半疑でしたが、最終日を残して今回の写真展を振り返ってみると、ものすごくよい時間だったと感じます。
妻や我が家の猫、そしてたくさんのみなさまの力無しに、写真展を開催することはできませんでした。
本当にありがとうございます。
これからも正直に、怯えずに、写真に取り組んでいきたいと思います。
最終日、お時間が許せば是非ご覧いただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

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September 30, 2022

おさじ


朝食を食べながら、妻が前の晩見た夢の話を聞くのが楽しみになっている。
枕詞として"忙しい夢で疲れた"と言うことが多く、
ほとんど夢を見ない自分からすると気の毒なのだけれど、
聞いてみるとかなりの確率で面白い話が多い。

妻が2年前の秋に見た夢は示唆に富んでいる。

私がネコのためにツナ缶を開け、缶のまま食べさせている。
ネコは何故か缶の中のツナを手に乗せ食べ始める。
浅い缶にあるツナを器用に手に取るものの、肉球に乗るツナは微々たる量。
何度か口にツナを運ぶのだけれど、ネコは効率の悪さに痺れを切らす。
するとネコは「おさじがほしい。」と妻に話しかける。
妻がおさじをネコに渡すと、ネコはおさじで器用にツナを掬い上げ、ツナ缶を平らげる。

先日、我が家に来て1年半になる愛猫、大雅♂が水を飲む姿を見ていた。
よく見ると、徐ろに右手を水の入った器に入れ、肉球に乗せた水を旨そうに舐めている。
妻の夢がフラッシュバックする。
右手をそのままに振り返る大雅。
しばらく見つめあった後、「ニャー!」と気持ちのよい鳴声。

大雅用のおさじを買う日も近いのかもしれない。

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残り2日

残り2日となりました。
今日、明日はよい天気になりそうです。
BGMを考えるのが好きです。
以下、あくまで個人的感覚ですので、何の根拠もありませんし、参考にもなりません。
***
集中して作品と向き合っていただくため、”複数の楽器が入っていない音楽”をセレクトしました。
そして、できれば、テンポに適度な”ゆれ”があるもの。
結果、チェロ(無伴奏チェロ組曲)、ピアノ(月の光、キースジャレットetc..)のセレクトに至った次第。
そして、もう一つ、クラシックギターの曲集をセレクトしています。
聞き直していて、心に沁みた曲は、ヘンリー・マンシーニ作曲の「ひまわり」。
映画「ひまわり(sunflower)」(主演:ソフィア・ローレン)の主題曲。
第二次世界大戦によって引き裂かれた夫婦の悲哀を描いた映画で、劇中の広大なひまわり畑が印象的。
この映画の舞台の一部がウクライナであり、自ずと、ロシアのウクライナ侵攻に伴う、あらゆる意味での犠牲者へ思いを馳せずにはいられない。。
***
話がかなり脱線しました。
写真展をやっています。
是非ご覧いただければ幸いです。
よろしくお願いします。

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September 29, 2022

残り3日

残り3日となりました。
いよいよ終盤。
あの展示とのお別れが近づいていると思うと寂しくなります。
在廊時のBGMで流している曲にドビュッシーのベルガマスク組曲 第3曲 「月の光」があります。
特に私が好きなのはメナヘム・プレスラーの演奏。
1923年生まれということなので99歳になるピアニスト。
この音源の録音は94歳の時。
一音一音の響き、豊潤な和音はもちろん、音と音の間の無音にも、表現の意思が感じられます。
ゆったりとした流れが感じられる演奏ですが、必要な部分では、
目の覚めるような音量と高齢とは思えない疾走感で音を紡いでいます。
美しい演奏です。
あと3日、是非ご覧いただければ幸いです。
よろしくお願いします。

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September 25, 2022

物干し竿

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洗濯物を干すのは大伯母のSおばさんの分担だったらしい。
そのSおばさんが闘病の末、年末に他界し、
あわただしく寂しい年末年始を乗り越えた頃、
Sおばさんと二人で暮らしていたNおばさんへ、
妻がご機嫌伺いの電話を入れた。
聞けば、物干し竿の位置が高く、
洗濯物が干しづらいと話しているとのこと。
数日後の週末、Nおばさんの家へ顔を出し、
物干し竿の件を聞いた。物干し竿についてその手の悩みは多いようで、
Amazonで検索してみると既設の物干し竿に簡易なブラケットを当てがい、
位置を下げる商品が数種類あるとわかった。
実際、どのくらい物干し竿を下げたらいいのか確認するため、二階のベランダへ向かう。
話しの流れでベランダへ来たものだから、物差しの類は用意しておらず、写真を撮ることにした。
撮影にあたり、実際に立つ位置、手を伸ばす角度を再現してもらう。
物干し竿を下げる寸法は、おばさんの手の大きさや手を伸ばした先にあるS字のフックで荒方の見当がつく。
数日後、ステンレス製のブラケットを設営。
簡単に洗濯が干せると喜んでくれた。
それからわずか数週間後、Nおばさんは急な病に倒れ、Sおばさんの元へ旅立ってしまった。
仲が良いにも程がある。
我が家で飼い始めたネコに会ってもらいたかった。
物干し竿の調節を気に入ってもらえてよかった。
芸術全般を愛し、絵が上手かったNおばさんにあてて、この写真を飾ることにした。
どこかから見ていてくれたら嬉しい。

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September 22, 2022

創作


西脇順三郎の詩「あむばるわりあ」のあとがき。
写真作品を創作する時、常々考えていたことが書かれていた。
原子爆弾ばかりが表現ではない。
わかりやすいものを作る必要はない。
ただ写真とことばに真摯でありたい。

《 西脇順三郎「あむばるわりあ」詩情(あとがき)より抜粋 》

詩の世界は創作の世界である。如何なる方法で創作するか。私の詩の世界は私の方法で作られてゐる。
各々の詩人は各々の仕事場をもつてゐる。多少なりともその秘密も持ってゐる。
私に私の仕事場を説明し開放してその秘密を知らせろといはれた。それで極く簡単に説明しませう。
先づこの詩集に出てくる詩の中で詩でないものもある。しかし詩にしようとして努力している点だけは見てもらひたい。
科学的哲学的考へ型は自然界人間界宇宙界にある物の存在の関係を何かしらの法則といふ組織の中で統一し整頓することである。
自然界宇宙界の構成は何かしらの要素が一定の関係のもとに結合された組織である。
この「一定の関係」は動かすことのできない関係であるが、科学者哲学者はこの関係の法則を発見するために、この関係を統一し整頓して考へるのである。
この動かすことのできない関係が少しでも破られた場合は自然界に重大変化が発生する。それは原子爆弾に応用される。
詩は人生を取り扱ってゐる。人生を材料にしている。

(中略)

即ち先に述べた、一定の関係のもとに定まれる経験の世界である人生の関係の組織を切断したり、位置を転換したり、また関係を構成してゐる要素の或るものを取去ったり、また新しい要素を加へることによりて、この経験の世界に一大変化を与へるのである。その時は人生の経験の世界が破壊されることになる。丁度原子爆弾の如く関係の組織が破壊される。
詩の方法はこの破壊力及至爆発力を利用するのである。
この爆発力をそのまま使用したときは人生の経験の世界はひどく破壊されてしまって、人生の破滅となる。
併し詩の方法としてはその爆発力を応用して即ちかすかに部分的にかすかに爆発を起こさせて、その力で華麗なる小さい水車をまはすのである。
この水車の力で経験の世界の関係が前述したやうに切断し転換されるのである。
要するに経験の世界にかすかに変化を起し、その世界にかすかな間隙が生まれる。
この間隙を通して我々は永遠の無量なる神秘的なる世界を一瞬なりとも感じうるのである。
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日々雑感

日々雑感など。
個展は丸3日が終わり、中盤に差し掛かろうというところ。明日も天候があやしいのだけれど、今のところは在廊の予定。
丸3日のうち、1日と少し在廊した中で、いくつか感想をいただいた。
一番いただくのは「難しいですね」という感想。
それでよいと思っている。
わかりやすい表現にすると、失われてしまう情報が幾つもある。消費されるだけの作品にしたくはない。じっくり見てもらいたい。
鷲田清一
「わかりやすいはわかりにくい」より抜粋
このように、政治、ケア、描画のいずれにおいても、一番大事なことは、すでにわかっていることで勝負するのではなく、むしろわからないことのうちに重要なことが潜んでいて、そしてそのわからないもの、正解がないものに、わからないまま、正解がないまま、いかに正確に対処するかということなのである。そう言う頭の使い方をしなければならないのが私たちのリアルな社会であるのに、多くのひとはそれとは反対方向に殺到する。わかりやすい言葉、わかりやすい説明を求める。
写真は、無名の風景に、「ある種の意味を与えてしまう」「ある種の定義してしまう」力がある。
この力には暴力性が含まれていると言える。
歴史を遡れば、写真が捏造され、本意でない意味、真実とはかけ離れた意味を持たされることがあった。
それは写真という表現手段に、「多義性」「曖昧さ」という性質があるためだろう。
写真家は、この写真の「寄る方なさ」をしっかりと認識し、引き受けるべきなのだ。
それを引き受けた上で、出来ることはどのような表現なのか、どんな文脈を示すことができるのかを悩むべきだろう。
とはいえ、言葉で説明できるようなことをやっても面白くない。
要は写真で勝負なのだ。
西脇順三郎の詩集「あむばるわりあ」の詩情に
「一定の関係のもとに定まれる経験の世界である人生の関係の組織を切断したり、位置を転換したり、また関係を構成してゐる要素の或るものを取去ったり、また新しい要素を加へることによりて、この経験の世界に一大変化を与へる」とある。
「経験の世界に一大変化を与える」ことで生まれる力を読み取る感性が欲しい。そうそう簡単なことではない。
これからも写真やことばに真摯でありたい。
明日、天気が落ち着きますように。
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February 01, 2022

ジャック・デリダ『絵画における真理 上』

ジャック・デリダ『絵画における真理 上』

(叢書・ウニベルシタス 590) 高橋允昭、阿部宏慈訳 法政大学出版局 1997年12月

p.88 "カントは学問的な死語を援用する必要があることについて、他の個所で見解を表明している。〔パレルゴンという〕ギリシャ語は、ここで、この作品-外(ルビ:オル-ドゥーブル)〔hors-d'œuvre〕という観念に、ほとんど概念的な品位を授けている。とはいえ、この作品-外は単に作品の外にとどまっているのではなく、傍らで、作品(ergon)の間近で働きかけてもいるのである。辞書は、たいてい、「作品-外(ルビ:オル-ドゥーブル)」という訳語を挙げている。これがいちばん厳密な訳だが、このほかにも、「付随的な(ルビ:アクセスワール)、無縁な(ルビ:エトランジェ)、二次的なもの(ルビ:スゴンデール オブジェ)」、「補足物(ルビ:シュプレマン)」、「枝葉(ルビ:ア・コテ)」、「余り物(ルビ:レスト)」といった訳語が示されている。主題が、自己自身からはずれることによって、そうなってはならないもの―パレルゴンとはそういうものなのである。"

p.89 "パレルゴンというものは、エルゴン〔=作品〕の、なされた仕事の、なされたもの、作品の間近(ルビ:コントル)に〔contre(それに逆らって)〕、それの傍らに、それからはみ出たところに到来する。にもかかわらず、それは見当違いに逸れているのではなく、或る何らかの外部から、働き(ルビ:オペラシオン)の内部に触れ、それに協働する。それは単に外側にあるものでもなく、単に内側にあるものでもない。あたかも縁(ルビ:へり)で〔au bord〕、縁(ルビ:ふち)で〔à bord〕、人びとが受け入れざるをえない或る種の付属品(ルビ:アクセスワール)のように。パレルゴンは、まずはじめに〔d'abord(縁(ルビ:ふち)のところからして)〕、縁(ルビ:ふち)のところにあるもの〔l'à-bord〕なのである。"

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August 27, 2020

無題

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