Infomation

(写真展開催)
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◯猪俣肇 写真展「something-invisible」
エプソンイメージングギャラリー エプサイト 〒163-0401 東京都新宿区西新宿2-1-1 新宿三井ビル1階
2017年8月17日(木)~9月7日(木)10:30~18:00
日曜休館:最終日は14:00まで

*アーティストトーク
北島敬三(写真家)× 猪俣肇
・日時:2017年9月2日(土)16:00 ~(約1時間)
・入場無料 予約不要
・お席に限りがございます。あらかじめご了承ください。
・詳細はエプサイトのホームページをご覧ください。
http://www.epson.jp/katsuyou/photo/taiken/epsite/info/gallerytalk_201707.htm

*本展はエプサイトの「スポットライト制度」に選出された展覧会です。

*スポットライト制度対象インタビューコメント
・エプサイトホームページ
http://www.epson.jp/katsuyou/photo/taiken/epsite/event/special/spotlight_20170630.htm

*在廊予定
・8月17日(木)終日
・8月18日(金)終日
・8月19日(土)終日
・8月23日(水)終日
・8月26日(土)終日
・9月 1日(金)終日
・9月 2日(土)終日(*16時よりトークイベント)
・9月 7日(木)終日(最終日)


◯特集記事
海外の写真サイト「LensCulture」にて作品を公開しています。
Ways of Seeing: On the Streets or from Your Kitchen Window(written by Jim Casper)


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(ホームページ)
Hajime Inomata Photography

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August 27, 2020

無題

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February 18, 2018

第27回 林忠彦賞

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第27回林忠彦賞が藤岡さんの写真集に決まりました。
年末に推薦委員の方から他薦をいただき、
昨年の夏に新宿のエプサイトで開催した自分の写真展も
エントリーさせていただいていました。
このような大きな賞に参加するよう声をかけていただいたのは
初めてのことで夫婦で喜んでいました。

結果は残念ながら落選でした。
しかし、こつこつ地道にやってきたことが、素晴らしい賞への参加につながり大変感謝しています。
今後も信念を持って写真に取り組み、
またこんな機会がいただけるよう、頑張りたい所存です。

今回の賞に最終選考まで残った方は「写真集」を出している方がほとんどだったようです。
自分も写真集を出せたら・・・と、たらればを並べても仕方ないですね。

せっかくですので賞に添付したキャプションを書きます。
今の自分の写真に対する気持ちを書いたもの。
これからも自分らしく骨のある写真を撮り続けます。

***

something-invisible

写真。
特別な場所、特別な人、特別な瞬間が写真に切り取られる。
それだけが写真ではない。

日常の日々の中でも、
見る人の心を撃つような写真が撮れるはずだ。

文字。
神話や権力者の英雄伝が記録された。
数百年かかり、数多の物語が出来上がった。
文字を扱える人々、限られた人々にしか読まれないものだった。
その後、物語は市井に広まる。
しかし、紀行や怪談など、奇抜で特殊な内容のものが好まれた。

現代。
文学の対象は市井の人々の生活に向けられはじめた。
日常にも十分に語るべきストーリーがあるからだ。

写真。
いつまで、特別なものにしがみつくのか?
いつまで、極地や決定的な瞬間、美しい風景や奇抜な人物にしがみついているのか?

十分に刺激的な瞬間は身の周りにいくらでもある。
その瞬間を生け捕りにし、表現できる写真家になりたい。

市井の人々の生活が文学の対象になるまで、数百年の時間を要した。
写真が真の意味で表現手段として確立するには、どれだけの時間がかかるのか。
誰かが歩みを止めず、積み上げていく必要がある。
答えがあるわけではない。日も当たらないかもしれない。
それでも、私は写真の力を信じ“見えない何か”を撮り続けたい。

2017年12月   猪俣 肇

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January 08, 2018

人と写真



新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

正月早々、素晴らしいポートレートを拝見しながら、人を撮ることについて、写真家の十文字美信先生とお話する機会があった。とても貴重な話を伺った。

モデルがこう見られたいと意図してポーズを決めている写真がどうしても好きになれない。そういう癖が自分にはある。気のせいかもしれないけど、そういう写真がものすごくつまらない。

カワイくとかカッコよくとか意識していないときにこそ、その人本来の姿がある気がするとでも言えばいいのか。そんな刹那を切りとることこそ、写真家の面白さではないかと常々感じていた。

十文字先生はその業を、本番直前直後の舞台俳優に対して数十年に渡り行なっているそうだ。役者の化けの皮を剥がさんと言えば大げさかもしれないが、写真家と役者の静かな対決が垣間見れる見ごたえのあるポートレートだった。

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December 02, 2017

「かちぐみ」

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「かちぐみ」に親近感を覚える。
と言っても、よく言う「勝ち組」ではない。
江戸時代の藩の職務の「徒士組」もしくは「御徒組」(かちぐみ)のこと。
1800年代前半に編纂された富山藩士由緒書や富山県姓氏家大辞典などを辿り、先祖の出自を辿っている。
それらの書物から推測できるのは小林壱岐守という人物が辿ることができる一番古い先祖ということだ。越中守護の上杉房能の家臣で、おおよそ1500年代前半の人物。
その100年後の1600年代前半、 小林善左衛門という人物が加賀藩給帳という史料に出てくる。1639年に富山藩は加賀藩から分領されて成立したということだから、善左衛門はその過渡期に生きていた。善左衛門は御徒組として富山藩に召し出されている。
件の「御徒組」というのは、殿様が城外に出る際、行列の先を歩いて警備にあたる役回り。
普段は城の門番などを務めることもあったようだ。
いわゆる下級武士。
小林家は以後8代に渡って、恐らく真面目に御徒組を務め上げた。
そして、9代目の小林軍太、10代目の小林市治は与外組という役職を務めている。記録によると江戸屋敷に赴くことが何度かあったらしい。
10代目の小林市治は1800年代前半の人物。
実家にある古い文書は幕末のあたりから明治の初期までのもので、書いているのは小林晋斎という人物。
小林晋斎というのは、自分の曽祖父の親にあたると思われる。
晋斎は神奈川で私塾を開設する。近隣の多くの人々が足を運び、そこで学んだ人物が神奈川における自由民権運動で活躍をした。そのあたりになると、地元である平塚の平塚市史にも記載が出てくる。その頃からつい最近まで、実家は『先生はん』という屋号で呼ばれていた。
晋斎の子である曽祖父は、ものすごく手先の器用な人物だったらしい。自分が子供のころ、近所の年寄りからそんな昔話をよく聞かされた。鳥籠やら傘やらを木や竹で作ったらしい。達筆でもあったらしく、祭の幟や何やらを頼まれて書くことがあったとか。曽祖父が彫ったという、ものすごく精巧な牛の木彫がある。
ぼんやりと繋がってきたような気がするけれど、幾つか飛躍している。
・8代目から9代目の与外組への役職変更の理由
・軍太、市治が江戸に足を運んだ理由。
・市治と晋斎の繋がり。
・江戸詰であったと思われる晋斎が神奈川へ来た理由。
下級武士の出自であるから、先祖を直接的に辿るのは難しい。それでも、実家に眠る古文書はかなりの量。その辺りのヒントが幾つか眠っている気がする。この年末の休みに、腰を据えて調べてみたい。
先日、山本周五郎の「ながい坂」という本を知った。
主人公は御徒組出身の阿部小三郎。
フィクションとはいえ、感情移入せずにはいられない。
写真は我が先祖である小林家の居があった富山市鹿島町の鹿島神社の境内。
大きな樹木の切り株があった。

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November 21, 2017

戯言




撮った写真について、言葉で説明しないといけない、
ましてや、その説明の内容で写真の何某かを判断するというのは、
やはり、無理があるんじゃないだろうか。

いくら言葉がうまくても、写真で勝負しなければ写真家ではない。

写真家が言葉の専門家やエンターテイナーである必要はない。
そういう雑味が排除されたところで、写真を見ないといけないんじゃないだろうか。
本質の部分がどんどん蔑ろにされている気がする。

丁寧に自分の写真を作り上げることに執着・集中しよう。



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November 20, 2017

無題

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September 18, 2017

reunite/time/depth

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小学校の同窓会があった。
それにしても、こういうことのまとめ役というのは、
生まれもっての才能を持った人がいるんだと常々思う。
そういう人には本当に頭が上がらない。
感謝の一言に尽きる。

卒業から30年が経ったので42歳。
月並みな表現になるけど、見た目はともかく、
みんな昔と変わっていない。
もちろん、見えない部分で
この30年にいろいろなことがあったはずなわけで。

大の人間好きな自分としては、
一人一人とっ捕まえてじっくり腰を据えて話をしてみたかった。
できれば1対1がいい。
日本酒でも飲みながら膝を突き合わせて、
涙をボロボロ流してしまうような話をするのが最高。
でも、極度の人見知りとひねくれた性格、
それに加えて、場が場だけに、
当たり障りのないところをくすぐるくらいの話しかできない。
懐かしさと嬉しさはあるけれども、
それより先の人生の深い機微に触れることはない。

そこまで胸襟を開いて話ができるのが友人だよなとか思っているから、
友達が少ないのかもしれない。
そんなことを考えながら家路に着いた日曜日の夜。

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September 17, 2017

encounter



18日の演奏会で妻がオケを休むことになった。
妻を始めて見たのは、と言うか、妻と初めて会ったのは2011年9月のオケの演奏会。
ラフマニノフのピアノコンチェルト等が曲目だったと記憶している。チェロのトップサイドで優雅に弾いていた。
写真を縁に知り合ったご夫婦から、明日、姉に会ってみますか?と言われたのは、その演奏会の前夜。
八丁堀か東京駅地下の飲み屋で急にいただいた話。
舞台に現れた妻は輝いていて、くすぶっていた自分なんかには到底釣り合わないと感じた。 演奏会が終わったあと、出待ちの後に交わしたよそよそしいあいさつを今でも覚えている。
自分の何がよかったのかは未だにわからないけれども、縁あって、気に入っていただき、幸せに過ごしている。
そんな出会いのきっかけになったオケの演奏会。
なんだか感慨深い日曜日の夜。

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September 10, 2017

revise

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アメリカの作家レベッカ・ブラウンさんと翻訳家の柴田元幸さんのトークイベントを拝聴。
レベッカ・ブラウンの「かつらの合っていない女(Woman In Ill-Fitting Wig)」の日本語訳版の出版に合わせたイベント。
画家のナンシー・キーファーが描いた極めて小さな肖像画を基に、
レベッカが自身のイメージを広げテキストを書いたもの。
レベッカが原文のテキストを読み、柴田さんが翻訳をするという形で幾つかの作品が紹介された。
柴田さんはレベッカの文体を
「この人の文章は音楽というよりほとんど呪文のようなリズムを持っている」
と評していたが、まさにそのとおりだった。
原文の英語は決して複雑な文ではないし、特別難しい単語を使っているわけではない。
非常にリズミカルにもかかわらず、深く重々しい内容を紡いでいた。
レベッカはテキストを書き出した後、そのreviseにかなりの時間を費やしているとのこと。
テクニカルなチェックはもちろん、
テキスト自体からハートが感じられるかを特に意識しているそうだ。
「アメリカには素晴らしいテキストを書く作家はたくさんいるが、ハートが無いものは響かない。」
という言葉が印象的だった。
それにしても、驚いたのは柴田さんの翻訳。
レベッカの原文のイメージを損なうことなく、見事に翻訳されていた。
素晴らしいものを体験した土曜日の昼下がり。

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«”世界は僕の頭の中にある。僕の体は世界の中にある。”