Infomation

(写真展開催)

海外の写真サイト「LensCulture」にて作品を公開しています。

特集記事
Ways of Seeing: On the Streets or from Your Kitchen Window(written by Jim Casper)


30_02_hajime_inomata_edited1_2


(ホームページ)
Hajime Inomata Photography

| | Comments (7) | TrackBack (0)

July 24, 2017

ハッタリ

23somethinginvisible_

一事が万事ではないのだけど、写真はハッタリが効きやすいと思う。
ただ、いずれボロが出る。この数年の周りの様子を見ているとよくわかる。
楽器の演奏はハッタリが効かない。だから音楽が好きなのかもしれない。
まあ、ともかく、本物が好きなのです。

|

June 27, 2017

40somethinginvisible_

先日、楽器職人の方とお話しする機会があった。
個人でバイオリンを制作されている方で同世代。
モノを作るという話をしている中で、お互いにものすごく共感できた点があった。
モノを作る人間は、自分の軸をしっかり持つべきだということ。
作り出すモノを売らなければならないという考えに支配されると、
買う人の立ち位置でモノを作ることを考え始める。
そして、徐々に作る人の立ち位置を忘れてしまう。
ここの軸がブレてしまうと、作品自体に芯のない、ある種のタダの商品になってしまう。
軸がブレたまま作品を作ったところで、魅力のあるモノになるとは思えない。
とても基本的なことですよね。


|

June 22, 2017

There is no medicine for

40somethinginvisible_

写真を撮ること自体に面白さがある。
そこに気がついて写真を撮っている人に惹かれる。
でも、そういう人はほとんどいない。
プロですらほんの一握りだ。
それにしても、どうして、どこかに行かないと作品にならないのか。
物珍しさを追いかけるのも写真の一つではあるけれども。
人のことを構っていても仕方ないのはわかっているけど。
こんなのでいいのかな。
なんだか寂しい今日この頃。

|

June 19, 2017

千載具眼の徒を竢つ

_r017573

生半可な気持ちで写真はやっていない。
だから写真を撮ればいい。
それを見てもらう機会をつくればいい。
「千載具眼の徒を竢つ」
それでいい。

自戒の念を込めて。

|

June 17, 2017

lost in picturization?

05somethinginvisible_

写真展の準備で東京を右往左往する間に、
翻訳家の柴田元幸さんのトークイベントを拝聴。

ある言語で成立している作品を、
別の言語に「翻訳」し、その作品を伝えるというフローが
実際に成立している風景を、「カメラ」を使って切り取り、
それを写真として成立させるというフローが似ていると感じてから、
折を見て、大きい図体を小さくして、後ろの方で拝聴させていただいている。

既に価値のあるAというものをBというものに変換する際、
そこに人が介在し、ある種のプロセスを経てAと同等のBを作り出す。

そのプロセスに影響を与える人は、どのようなことを考えているのか。
写真家はともかく、翻訳家はどんなことを考えているのか。
言葉というのは本当に繊細で、
一つの単語でさえ、たくさんの意味を持っている。
また、聞き手の理解力に委ねられるケースもある。

宮沢賢治の「アメニモマケズ」の例を紹介してくれた。
・Be not defeated in the rain.
・Strong in the rain.

どちらが、より原文の意に近いのか。
字義どおりの忠実さと詩ごころそのどちらを選ぶべきなのか。
短い時間に想像以上にたくさんの話を伺うことができた。
すぐに写真がどうなるわけでもないし、そのことで写真が変化するものでもない。

記憶に残った件を備忘として。

***
・Poetry is what gets lost in translation.
(詩ごころとは、翻訳においてまさに失われるものである。)
ロバート・フロスト

・誌を訳すというのは、せいぜいが近似値をめざす営みである。・・・字義どおりの忠実さと詩ごころのどちらかを選ばざるをえなくなるたびに、私は迷わず誌ごころを選んだ。単語対単語の正確な対応をめざすよりも、フランス語が読めない読者に、それぞれの詩の詩としての感触を真に伝えることの方が、私には重要に思えたのである。
ポール・オースター

・翻訳は自己の消滅に基づいている。悪い翻訳とは、翻訳者の執拗な声のことである。
ワインバーガー

・翻訳テクストとは、言語的・文化的差異が何らかの形で伝えられる場、文化的他者がいるという実感を読者が何かしら得る場であるべきだ。・・・翻訳者が外国人の書き手と親密な共感を得られるのは、外国語のテクストのなかに自分の声を認識する時だけだからだ。あいにく、言語的にも、文化的にも、解消不能な差異があるのであって、ゆえにこの認識はつねに誤認識でもあらざるをえない。なのに、「こなれた」訳のせいで、この点が翻訳では見えなくなってしまう。
ローレンス・ヴェヌッティ

|

June 09, 2017

写真展「something-invisible」 エプサイトのHPにアップされました!

35somethinginvisible_

8月17日からの写真展「something-invisible」の情報がepSITEのサイトでアップされました。
取り急ぎご報告です。
追って幾つかの情報をアップしていただける予定。
その時はまたご紹介させてください。

|

May 22, 2017

Modelo Manuel Ramirez / Tetsuo Kurosawa

_r030470_
クラシックギターを趣味にして1年が経った。
趣味があるのはいいものです。

写真は趣味じゃないのか?
という話になりますが、アマチュア写真家とかプロ写真家とか、せせこましく、実りのない話になりそうなんで、置いておくことにします。

学生の頃、10年くらいエレキギターをやっていたので
そのうちに、それなりに、
うまくなるだろうと思っていたけれど、いろいろと勝手が違った。
難しい。。。
年齢的な問題や練習に当てることができる絶対的な時間もあるので
若い頃とは比較したくないのですが。
でも、とても難しい。。。

しかし、趣味があると、生活にハリが出てよいですね。
できないものが少しずつできるようになるという
小さな達成感の積み重ねが精神的によいのかもしれないです。

一年前、続くかどうかもアレだったので、
うちの父が40年以上前に買ったギターを実家からレンタル。
父はそのギターでアルハンブラ等々やっていたらしいのですが、
仕事で右手薬指の爪を根元から痛めてしまい、
トレモロができなくなってしまったため、
ギターはあまり弾かなくなってしまったとのこと。

もう少しうまくなったらギターを買いたい。
そのためには、耳を肥やさなくてはと、
いろいろな機会に試奏・・・
とかいうと、耳障りがよすぎるので、「試し鳴らし」をさせてもらっていた。
この一年間でかなりの数のギターを試し鳴らした。
おかげで相当な耳年増になった。

そんな耳年増の記憶に残った一本があった。
昨年の夏、黒澤哲郎さんというギター製作家のギターを
ギター教室で鳴らしたときの衝撃。
耳から脳に抜けるようなパキッとした高音。空間全体に響き渡る中低音のふくよかな音質。
驚いたのは、ギターのボディーの共振。
まるで生き物を抱えているようだった。
父のギターが悪いわけではないけれども、
ギターってこういうものなのかと、初めて知ったのだった。

その衝撃を忘れられないまま、約一年。
試し鳴らしにお付き合いいただいた教室の先生の紹介で
写真のギターを試し鳴らしする機会に恵まれた。
ギターは個体によって音が全く違うことは、この一年の試し鳴らしで身を持って学んだ。
だから、同じ製作家の方のものとはいえ・・・・という疑念を持って、鳴らした。

中低音のふくよかさ、タッチに応じて響きが変わる高音。。。

これは・・・と思い、一大決心。
帰宅後、早々に家族会議に図る。そして急遽、家人にもギターの試し鳴らしに立ち会ってもらった。
高校までピアノ、今はチェロをやっている家人の耳にも、このギターの音を体感してもらった。
そして、とうとう。我が家にやってくることになった。

このギター。黒澤哲郎さんが制作したマヌエル・ラミレスモデルというもの。
歴史に残る優れたギター製作家の一人であるマヌエル・ラミレスが
1912年に制作したモデルを、黒澤さんが研究、ベースにし制作したものだそうだ。

さて、マヌエル・ラミレス。
スペインのサラゴサの生まれで、
兄のホセ・ラミレス1世のもとでギター制作を学び独立。
その後、マドリッドで工房を立ち上げた。
歴史的な製作家であるアントニオ・デ・トーレスの影響を強く受けたとのこと。
少しググると、兄のホセと弟のマヌエルはギター制作の方針でぶつかってしまったらしく、
果てに仲違いしてしまったなんて話もネットには出てくる。

さらに、このマヌエル・ラミレスのギターには逸話がある。
まだ無名のクラシックギターの演奏家だったアンドレス・セゴビアの
素晴らしい演奏をマヌエル・ラミレスがたまたま耳にした。
その演奏があまりにも素晴らしかったので、
自身の制作したギターを貸し与えたのだそうだ。
以後、セゴビアは歴史に残るクラシックギター演奏家になり、
彼が演奏をすればするほど、
スペインのラミレスのギターが世界中で知られるようになったのだそうだ。

じっくり眺めてみると、楽器というより、むしろ美術品の域。
木目とか、ヘッドとか、細工とか。
ギターなんて全て同じと思いきや、
そうではなく、製作者やモデルによって、全く異なるものなのです。
この黒澤さんのギターは自分の好みのど真ん中。
端正でありながら、ギターらしい、力強い佇まい。
上から下から、いろいろと眺めていたら、1時間過ぎていた。

できれば、素晴らしい演奏をして、名工から楽器を手にしたかったけど、
それは叶わなかった。

兎にも角にも、条件は揃った。
演奏が下手なのは楽器のせいにはできなくなった。
腕を磨かなければ。。。

_r030463_





_r030468_


|

May 14, 2017

across

_r016741

家人の先祖と自分の先祖が
顔見知りだったかもしれないという話題が冷めやらぬ我が家。
この週末にまたおもしろい話があった。
しばらく入院することになった伯母。
出掛けに書を床の間に掛けた。
その書は隠元禅師が開いた黄檗山萬福寺の何代目かの御住職が書いたもの。
手術の無事と着実な回復を思い、幾つかある書の中から選んだそうだ。
無事手術を終えて数日後、病室で同室の方の苗字が先の御住職と同じであることを知る。
まさかとは思いながら、関係がないか話をしてみると、その御住職と親戚付き合いがあるという。
世の中、至る所に偶然が転がっている。
先日、翻訳家の方のトークイベントに家人と参加した。
青山一丁目にある本屋の二階で開催され、イベント後に懇親会があった。
家人に話しかけてくれた女性。有名なオーケストラのバイオリニストだった。
その方の娘さんが本屋さんの娘さんと同じ幼稚園だったそうだ。
そんな方と懇意にお話しできるなんて、それだけでもかなりの驚き。
知らなかったのだけれど、どうもその本屋さんは、
世界的な日本の指揮者もちょこっと立ち寄るような場所らしい。
そして、有名なイラストレーターの方がワークショップを立ち上げた場所でもあるらしい。
で、うちの家人、手前味噌になってしまうのだけど、かなりイラストが上手い。
先の伯母の見舞いに行った際にも、
着物が着れたらいいとか、俳句を書いたらいいとか、
人生のアドバイスをいろいろと頂いたらしいのだけれど、
最終的に、先ずは「イラストを書き溜めてみなさい。」ということになったそうだ。
自分の家人への今年の誕生日プレゼントは、
スケッチブックと水彩色鉛筆。
家人から、肌色がないからどうしても筆が進まないのよとの話。
数日中に肌色の色鉛筆を買いたいと思う。
もしかしたら、創作意欲に火がついて、売れっ子イラストレーターなんかになってくれるかもしれない。
肌色の色鉛筆くらい幾らでもない。
世の中、至る所に偶然が転がっているはず!

|

May 06, 2017

ルーツ

170505
家人の曾祖母が富山の生まれだったそうで、
つい先日、義父と義母がそのルーツを辿ったとのこと。
幕末から明治のあたり、家人の曾祖母の家は大きな染物屋さんで
庭に神通川の水を引き込んだりするかなり大きな家だったそうだ。
祖母の年齢から遡ると、
曾祖母は1800年代の後半に富山で生活していたと思われる。
仔細は割愛するけれども、その道中での体験談は感動的なもの。
その話を自分の実家でしていると、
うちの遠い祖先は富山の出身だと言われる。
確かに昔、そんな話を聞いた気がしていたけど、
すっかり勘違いしていた。
新潟出身じゃなかった。
どうやら、富山の武士の三男坊とのこと。
富山藩士だった三男坊は、江戸に遣わされ働いていたらしい。
実家の古い墓石にも、江戸幕府云々という字が刻まれていたから、
先祖にそんな人がいることはなんとなく知ってはいた。
で、ちょうど幕末あたり、どんな経緯かはわからないのだけど、
神奈川県平塚市の実家のある地域で寺子屋を作ることになり、
その三男坊が江戸から師範として招かれ、地縁となったのだそうだ。
その寺子屋が自分の通った小学校の前身となっている。
大方の話は聞いたことがあったが、
父がどこかから「先祖之書」という古い文書を引っ張り出してきた。
「先祖之書」というのは、武士が士官する際に持たされた
現在でいう履歴書のようなものらしい。
ただ、どの程度の精度のものなのかは分からない。
読める字を見ると、桓武天皇だとか、葛原親王だとか見える。。。
書いてあるとおり、葛原親王の28代末裔だとしても、相当薄まっているはず。
書く必要なさそうだけども、書くと書かないとでは、
士官するにあたり、それなりに何か違ったのかもしれない。
実家にはその三男坊が、富山の本家とやり取りした手紙が多数残っている。
ただ、あまりに達筆すぎて読めない。
そして話は戻るのだけど、
もしかしたら、うちの先祖の一族と、家人の先祖の一族は
富山のどこかで接点があったかもしれない。
うちの先祖の手紙にあった住所を現在の地図で探してみる。
家人の曾祖母の住所と見比べる。
どうも、二つの家は2キロ程度しか離れていなかったようだ。
二つの家の間には富山城がある。
城下町で両家の先祖が行き交わしていたとしたらなんだか不思議だ。
なんとかして、もう少し調べたい。。。
字が読めない。。。
そんなこどもの日。

Img_3241




Img_3257_1


|

«雲無心出岫: