111230
レンブラントとは全く関係ないのですが、村上春樹の「雑文集」という本を再読中。
冒頭の”自己とは何か”という章が印象深い本です。
村上春樹は世界中で評価を受けていますが、
評価を受けている作品だけではなくて、エッセイも脱力気味のものもあり、結構オススメです。
「雑文集」はそんなエッセイの寄せ集め。
たしか去年の今頃読んでいたんですが、
前半の”小説家”についての考え方、”本当の自分とは何か”という問いに対してのクダリが好きなので備忘として。
引用させてもらっている”本当の自分とは何か”の部分に、写真との某かの共通性、解釈の仕方というのを感じられて自分の中の記憶に残っているのかもしれません。
それと、昨日の記事に書いた、写真家の畠山直哉さんの「話す写真」もほぼ同じころに読んでいた本。
昨日の一文と「雑文集」の中の”小説家について”で書かれている内容に、同じではないのですが、似ている部分を感じたのを覚えています。
【小説家について】
〇小説家というのは、ひとつの事実について、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業としている
〇読者はその仮説の集積を、とりあえず、インテイクし、自分のオーダーにしたがって再構築する。仮説の行方を決めるのは、読者であり、作者ではない
〇「自分とは何か」を長期間に渡って考え込む作家は本来的な作家ではなく、数冊の優れた小説は書くかもしれないが本来的な意味での小説家ではない
【本当の自分とは何か】
僕が言いたいのは簡単にいえばこういうことだ。
僕の輪は開かれている。ぽっかりと開かれている。
僕はそこから、世界中の牡蠣フライやメンチカツや海老コロッケや地下鉄銀座線や三菱ボールペンをどんどん受け入れていく。
物質として、血肉として、概念として、仮説として。
そして僕はそれらを使って、個人的な通信装置を作り上げていこうと思う。
ちょうど「ET」がそのへんにあるがらくたを組み合わせて惑星間通信装置を組み立てたのと同じように。
なんだっていいのだ。なんだっていいということが一番大切なのだ。
僕にとって。本当の僕にとって。
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