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March 25, 2012

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GRDigitalⅣ


写真とは何かなんて大業なことを考えたくないのですが、ちょっとばかり思いを馳せることがありました。

写真家の中平卓馬は70年代に入って、(記憶を失ってから)

”写真に情緒性、詩、イメージなどを込めることを否定し、物をありのままの物として写し撮ったものこそ写真である。”

と主張したんだそうです。

最近気がついたのですが、
デフォルトの写真の定義というのが、写真を撮る人の中で違っていると思います。
とか言いながら、個人的には写真に、これは写真だというデフォルトの定義をする必要は無いとも感じています。
アートっていうのは自由であるべきですし。

そんなことよりも、写真で何を伝えたいか、ということを考えることが大事だと感じています。
(※その上で、自分の表現に必要な機材を持てばいいんだと思っています。金がある人は高いものを買えばいいわけです。)

さて、何を伝えたいかという議論になった時、
その材料となる写真自体はどんなものかを自分なりに決めておきたい(前述と矛盾ですが(笑))と感じたので、
上記のクダリを備忘として残していた次第です。

写真って、いうまでもなく、ものすごい情報量を持っています。
データとして、とか、そんなつまらない話ではなくて、
写真の中に収まっていて視覚で認識できるモノやその写真の外にさえ、人間は思いを馳せることが出来ます。
無限の広がりを持っていると言っていいかもしれません。

そういうわけで、写真の持つ意味は撮った人の思っていることのみで構成されるのではなくて、
その写真を見る人の感覚や感性、素養に大きく影響される部分があるのだと思います。
(確か、畠山直哉さんがそんなことを本で書いていた。。。)

とはいえ、写真によっては、言葉によるウマい誘導が必要な作品もあるのかもしれません。
それも否定しません。


実は、AYPCのワークショップで、
4月のグループ展に出展するつもりの作品を見てもらいました。
メンバーとブレストした結果、今回のグループ展に出す写真は、言葉による誘導は必要最低限がいいのかもしれないということ。
むしろ、言葉によって、一枚の写真が持つ100ある意味のうち、10の部分にだけ触れればいいという、つまらない誘導をしてしまう可能性があることに気がつきました。

数年来、自分の写真を見続けてくれている人たちの意見は、言い得て妙でした。
ものすごく心地よかったです。自分が忘れていた部分についてうまく補完してもらえた気がします。
感謝感謝です。

4月まではもう少し時間がありますので、これを踏まえて、もう一思案したいと思います。

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