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April 09, 2012

14:59:18~14:59:19

Rimg24899
GRDigitalⅣ

写真の感想について。

ここ数年、いろいろなところで、沢山の写真を見ています。
展示であったり、ブログであったり。
他の方と話す機会もたくさんあります。

自分はそんなに簡単に感想なんて出てこないタイプです。許してください。
これは、何も思わないとかでなくて、自分の写真との向き合い方の問題なのかもしれません。
要は”簡単”ではないのです。
だから数日後に、あの写真て、こういうことだったのかな・・・とか、そんなことがしばしば。
反応がないのに悪気があるわけではありません。
悪しからず。。。

そんな中、えらく饒舌におしゃべりできる方も世の中にはいらっしゃるわけで
写真仲間(むしろ師匠クラス)の方が、とある場所で写真を見た時の感想をコメントされていました。
その内容にえらく共感しました。

・ステレオタイプではない
・ピントが合っていない・
・写っているものが分かりにくい

とかいう類の感想は、
確かにある部分、技術的な立ち位置から見た時には、
写真に対する感想と言えるのかもしれないのですが
それというのは、ある決まったセオリーに対して、
その写真がセオリーに習っているか否か・・・なんというか、〇か×かの世界になるのだろうと思うのです。

写真の表面をなぞっているだけ、という表現をその方はされていました。

まったく自分もそう思います。
それは、決まったセオリーを介した”意見”で、写真を見ている人の感想ではないんです。

実際にはあり得ないのだけれども、
今見た写真の撮り直しが出来るとして、すべてセオリー通りの〇の写真を撮れた時に、
上記の箇条書きのような感想を仰る方々は、どういう感想を仰るのだろうかというところ。

いい写真ですね、ということになるのか、
はたまた、それより先の某か、作家自身が伝えたい何かにその時点で向かい合えることになるのか。。。

つまり、あるセオリーにおける〇×がすべて正解であった時に、
その写真の持っている表現力が最大になるのか、と言ったらそうではないと思うのです。
技術的な部分というのはあくまで、作家の表現のための材料の一部であると思います。

とはいえ、技術的な部分を習得するのは大事なことですし、蔑ろにしてしまっていいとも思いません。

ただ、あまりに世の中、そういう部分に想いが偏重している方が多くて、
その部分で写真を語ることができるのが写真を撮る人にとって重要だというのは
個人的には違うんだろうなと感じているところです。

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