重力:写真について その3
GWいいですね。
もう1週間ぐらい延長してほしいものです。
そこかしこに歩く人々がデジタル一眼レフカメラを持っています。
そして、なぜかわかりませんが、
この休み中、自分が食事をしている隣の席に座っている人が
かなりの確率でカメラや写真について饒舌な方ばかりで、拝聴していて楽しいです。
友達同士で写真集をどう作ったらいいか話しているカメラ女子。
写真の構図は決まっている。でも、感覚的なところが大事。。。とか、15分くらい懇々と彼女に話している彼氏。
かわいそうだからやめてあげたらいいのにとか思ったり。。。
(↑自分ではないです。自分は”コウズ”って聞いたら、”香酢”、もしくは”国府津”が頭に浮かんでしまいます(笑))
カメラ、写真とはいえ、悩みや話も千差万別なのだなぁと思うここ数日です。
さて。。。
一枚の写真を何となく自分らしく撮れるようになった。。。
即ち文字が何となく書けている。。。
ということを薄々感じてはいましたが、自分の中に全く自信はありません。
今回の展示を通じて、ギャラリストの方からのアドバイス、
また、見に来ていただいた方々との会話のなかでようやく自信らしいものが少しばかり持てた気がします。
それに併せて、今、自分が撮れる写真を材料として、
ある空間(若しくはブック)により、某かのメッセージを伝えることが出来るのではないか。
と、ようやく思えてきました。
それは現在の社会と関連した諸問題を、自分の立ち位置までブレイクダウンしつつ、
マクロ的な視点でメッセージを紡ぎ出していくもの。
また、ストレートに家族愛や友情や愛憎等々を表現していくもの。
それとは逆に、完全にフィクション、虚構の世界を、写真という材料を綴ることで語ることもできるでしょう。
あるコンセプトのもとで撮ったステレオタイプ的な写真で綴り、
これがテーマだと簡単に言うのではなく、
一枚の写真ではなく、複数の写真を綴ること、構成することで、
ある種の物語、見る人の心を揺さぶるような空間、モノが出来るのではないかと思えてきました。
それに気がついたのは、
自分の写真の展示点数が、今回24枚という点数だったこと。
今までは4点、6点、9点という限られた点数だけだったので、
展示されている写真に正対しても、一枚一枚に目を向けるしかなく、
結局、その写真の構図だとか、プリントだとか、そういう部分にしか目がいかなくなっていました。
24点という枚数は、一瞬、どこを見ていいかわからず、
まずは、”とりあえずその写真たちの前に立ってみる”というところから始まります。
次に、目についた写真まで、一歩踏み込み、仔細な部分に目を配り、離れます。
そして、別の写真に踏み込み、また離れます。それの繰り返し。
当然繰り返さない方もいらっしゃいます。
とはいえ、近づいたり離れたりする動き。
写真を見るだけなら、遠くから見ていればいいのですが、ほとんどの方がそうされていました。
生意気な考えですが、そういう動きをしていただけるような
恣意的な展示が出来るかもしれないと思えてきました。
また、点数が多くなったことで、この写真を撮った人が何に気がついているか、
何に興味を持って、何を見ているかということが伝わりやすくなったのではないかと思います。
実際、昔から自分の写真を見ていてくれている仲間からも、そんな感想をいただきました。
(長いので今日はこれくらいで(笑))
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