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September 24, 2012

かかわるということ

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GRDigitalⅣ

敬老の日の出来事。
思うところがあるので書き留めておきたいと思います。

***

休日の日課(?)でジョギング&ウォーキングをしています。
毎週同じコースなのですが、ある河川の土手を約6キロ前後、走ったり歩いたりしています。
あくまで体調管理が目的です。

そのコースの途中から見える一軒家におばあさんが住んでいるのは何となく気がついていました。
何となく気がついたという意味は、
そのおばあさんがときどき犬を散歩したり、家の周りを掃除したり、外に座って休んでいたりされていたので、
あくまで、推測の域を出ないのですが、おそらくそんな境遇ではないのかという意味です。

また、そのおばあさんの連れている犬が、あまりにもおばあさんとそっくり(?)だったので、
そんなこともあり、強く記憶に残っていました。
ただ、一年くらい前から、犬の様子が見えなくなり、犬は亡くなっちゃったのかな。。。
と、遠くから眺めていました。

敬老の日。
いつものコースを走っていると、おばあさんがご自宅の前に出てひょこひょこ歩いていました。
そして、何か言っていることに気がつきました。気になったので、近くまで行きました。
「アタマが痛くて体調が悪いから、救急車を呼んでください。お願いします。」
『ご家族はいないの?』
「仕事に出かけていない。」
『ご近所の方には?』
「誰もいない。」
とのやりとり。

ご近所の家を尋ねましたが、どのお宅もご不在でした。
また、自分はジョギングの時、携帯を持ち合わせていません。
そこを通りかかった何人かにおばあさんと一緒に声をかけました。

自分の声のかけ方も悪かったのかもしれませんが、みんな通り過ぎて行きました。


「家の中に電話があるから、家に入って電話をかけて。」

と、おばあさん。いくらおばあさんとはいえ、
何も知らない人の家に入るというのは、失礼なのはもちろんですが、
このご時世、何があるやもわかりませんので、少しこちらも緊張してきました。

それと同時に、調子が悪い割には、かなり話もしっかりしているし、
少しばかり様子がおかしいと感じてきました。

『自分では電話できなかったの?』
「自分ではできない。」

との答え。
少し躊躇しましたが、意を決して家の中に入り、救急へ電話をしました。

住所が分からないのでおばあさんに尋ねると、しっかりとした口調で住所を教えてくれました。
電話口で、救急の要請であることと、おばあさんの住所を伝えると

「ごくろうさまです。そのおばあさんは認知症の方で、
通りがかった人に救急車を要請するよう声をかけているんです。
今月に入って100回くらいご連絡があります。今日は既に10回目くらいです。
ご家族やご近所の方もそのことは知っていられるので、
おばあさんには、家に入ってゆっくり休んでいてくださいとお伝えください。」

とのことでした。

「外は暑いから、少し家に入って休んでみてください。と救急の方が言っていましたから、休みましょう。」

とおばあさんに伝えました。
おばあさんはうなずいて、家に入っていきました。

この出来事で感じたことはいろいろあります。

おばあさんの境遇について。
高齢の方が一人で住んでいることや認知症の方の介護。
時期が来れば、自分の親はもちろん、自分もそういう境遇になる可能性は十分あります。
決して他人事ではないと感じました。

公の機関の対応について。
どこまで関わることが出来るのか。本当に難しいと思います。
本当に、体調が悪かった場合、どうするのだろうかと。

ものすごく残念だったのは、
自分が声をかけた数人、それもかなりのいい大人が、話も聞かないで(聞こえていたかもしれないけど)通り過ぎて行ったこと。
とても、悲しかったです。
世の中どうなっちゃってるんだろうと腹が立ちました。

救急の方の話を聞いて、自分以外にも対応している人がいると知れたことは救いでしたが、
自分の前を通り過ぎた人たちがいたのは事実で、やはり、悲しいなと強く感じました。

正直、自分もものすごく躊躇して、動揺した出来事でした。
あのまま自分も見て見ないふりをして通り過ぎていたらどれだけ悩んだかわかりません。
今回の行動は、いろいろな意味でよかったと思っています。

困った人に声をかける。所謂、何かを発信している人に声をかけるというのは、
今回のような緊急の場合だけではなくて、普段の生活でも同じなんだと思います。

かっこ悪いからとか、めんどくさいからとか思って、難しいことにかかわらないでいる人が多いと思います。
例えて言うなら、落ちているごみが見えているのに、跨いで通る人が多いような気がします。

いろんな境遇がありますから、多分、できることでいいのだと思います。
なにかを発信している人は、かかわってくれることを待っているのだと思います。
他人はもちろん、友人でも、家族でも。

***

とりとめがないですが、とにかくいろいろと考えてしまった今年の敬老の日でした。
おばあさんが健やかに過ごされていることを、来週もランニングコースから眺めたいと思います。

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Comments

奈月さま

コメントありがとうございます。

考えることが多い日々ですが、今回のことはいろいろな内容が包含されていて、
日々の雑事があるにもかかわらず忘れ難い出来事でした。

自分のできることはしたという感覚とどうにもできない焦燥感とが入り混じり、
よくわかりませんが最終的に少し悲しい気分になりました。

でも、行動を起こすって、勇気がいりますけども大切ですよね。
結果がどうなるかはわかりませんが、完璧は求めず、その時のベストは尽くしたいなと思います。
何事に関しても。

世の中が少しずつ良くなるといいですね。

Posted by: hiliving | September 29, 2012 at 06:46 AM

とてもいい経験をされましたね
読んでいて 全ての情景が目に浮かぶようでした
そしてhilivingさんの心の動きも 自分のことのように感じられました
私だったら おそらくまったく同じ行動に出ていたと思います
そして同じことを感じていたと思います

お節介かなと思えることも 必要とされている場合だってありますね
見極めは難しいです
でも 何もしないで 見ない振りしてしまうよりは
なーんだ 別に声掛けることでもなかったのか って思っても 声をかける方がいいですね
私の子供は自閉症です 2年生です
困ったことがあっても 慣れていない人にSOSを伝える事ができません
ひとりにしてしまう事で 命の危険に関わることも出てきます
人の手が必要な人は 見た目にはわからないだけで 結構身の周りにあるかもしれないです
0と1では違いますよね
余計なお世話という結果になっても 行動を起こすことは大事です

Posted by: 奈月 | September 27, 2012 at 03:59 PM

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