150503 術後10日目
昨日のリハビリで筋肉が念入りに解された。
ベッドに横になっていても余計な力が入らないので腰や背中の痛みも和らいだ。
ヒザ周りには少し熱がある。二足歩行を始めたことによる炎症だろう。
それにしても、一週間前は熱と痛みに悶え苦しんで、自分の足で立つことなんて考えられなかった。
人間の回復力というのは本当にすごい。
目下の悩みは、自宅の風呂にヒザを曲げずに済む背の高い椅子を
買わないといけないことと、ヒザを冷やす氷のうを買わないといけないことだ。
どこかに買いに行けるといいけれど、Amazonにあればとても助かる。
朝食後、風呂の予約を取りにナースステーションまで足を引きずりながら歩く。
病室からナースステーションまでは30メートルもない距離だけれど、
装具をつけて歩き始めたばかりの自分にはかなりの道のり。
歯を食いしばりながら歩を進める。
手すりを頼りに廊下をジリジリと進む。
自分の脇を車イスに乗った若い患者さんが小気味よく抜かしていく。
車イスの方がよっぽど早い。
歩けるとはいうものの、このスピードはなんとも厳しい。
ただ、立てるようになったので目線が高くなった。
見慣れた病室や廊下の景色が少し変わって見える。
あとでラウンジから外の景色を見てみよう。
先鋭化していた骨について考える。
今まで靭帯の代わりをしようと伸びていた骨の組織のこと。
これまで10年近くに渡って勤めてきた仕事を急に辞めなければならなくなったこと。
代替の靭帯が伸びようとしていたその場所にあるということ。
彼らはそれを受け入れているのだろうか。
今まで彼らが使っていたエネルギーは余剰なものになるはずで、
そのエネルギーがどこに向かっていくのだろう。
自分のこれからの生活の前向きな部分に充てがわれるといいのだけれど。
病室に戻ると同室のJさんが誰かと電話で話をしている。
どうやらポルトガル語のようで会話の内容は全くわからない。
Jさんは日系の方なのだけれど、日本語よりもポルトガル語の方が流暢なようだ。
それにしても話が長い。よくそんなに話すことがある。
自分にはそんなに長く電話で話をすることはできない。
お国柄なのか、個人的な資質なのか、とにかくよく話している。
ある意味そんな相手がいるというのは羨ましくもある。
右ヒザの曲げ伸ばしをした後、ヒザの皿を動かすトレーニングをした。
ヒザの皿にくっついている筋肉を動かし、皿を上下させるというもの。
リハビリの担当医から昨日指導を受けたが、
右ヒザの筋肉は弱り切っていて、皿が動く気配がない。
動きのない右ヒザの皿を動かそうと筋肉に力を入れる。
腫れがあるせいで、ヒザの皿の動きは見えない。
念を送るように右ヒザを見つめながら30分ほどトレーニングを続ける。
効果があるのかわからなかったが、トイレに行こうと立ち上がり歩き始めると、
足の運びがよくなったことに気がついた。
地味すぎるトレーニングだけれども続けてみる価値はありそうだ。
昼過ぎに幼馴染の親友が見舞いに来てくれた。
終始、バンドの話になる。
というもの、若かりしころ、
親友はベース、自分はギターでバンドをやっていたことがある。
当時のボーカルをしていたメンバーは、ただいまプロの歌手として頑張っている。
そんな頃から20年近くが過ぎ、いい歳になってしまったのだけれど、
親友がドラムをできる人と知り合ったそうで、バンドをやってみようという話になっていた。
ドラムの方からもわりといい返事をもらえたようで、
まずはスタジオで合わせてみようという話になったそうだ。
さて、なにをやろう。
退院後が楽しみになってきた。
夕方、家人が顔を出してくれた。
17時を過ぎていたけれども外はかなり暑かったようだ。
病室に着くなりペットボトルのオレンジジュースをゴクゴクと美味しそうに飲んだ。
病棟はエアコンが効いているので暑さは気にならなかったが、退院したらしんどそうだ。
しばらくすると家人のご両親も顔を出してくれた。
ラウンジに座り、手術の内容や術後数日間の涙無くして語れない辛い日々の話を聞いてもらった。
話ができるまで回復したところを見てもらえた。
少しでも安心してもらえたらいいのだけれど。