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January 23, 2016

土曜日

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30歳過ぎてから新しく興味を持った音楽は、スガシカオとクラシック。

ヘビメタ少年だった20年前の自分には想像できない。
人生っていうのは本当に何があるのかわからないもんです。
それにしても、スガシカオをいつから聴いていたんだろう。
真面目に思い出してみたら、10年以上前だ。
クラシックはともかく、なんでまたスガシカオが好きになったのか考えてみると、
曲もさることながら、歌詞に惹かれているようだ。
歌詞全体が作り出す世界観ももちろんだけど、
一つのセンテンスを作っている言葉のリズムが心地よく、
自然と歌詞が耳に入ってくる。
そして、その言葉が難しい言葉ではなく、平易なものなのに、
しっかりとアタマの中にとどまる。
うまく言えませんがそんなところが心地よいので、時々聞いています。
そんなスガシカオが新しいアルバムを出したので早速購入。
新作のジャケット撮影はインベカオリさんだそうで、
彼女の写真集にインスパイアされて作った曲もある。
ネットにアップされていた彼のインタビューに面白いコメントが載っていたのでご紹介。

出典ははこちら→http://natalie.mu/music/pp/sugashikao03/page/5

”俺の考え方として、コンセプトというのはアートの逃げ道だと思うんですよ。”
”コンセプトって衝動や爆発が起きなかったときの言い訳だと思う。だから衝動と爆発が起こってないのにコンセプトを立てたってアートには勝てない。アラーキー(荒木経惟)の作品も、あの人が衝動的にバババッと写真を撮ったら、それがそのままアートになるじゃないですか。このアルバムもそういうものにしないといけなかったんです。”

自分の作り上げた表現を、
”第三者に理解してもらわないといけない”
と考えると、どうしても相手に咀嚼してもらいやすいように、それなりの仕掛けをします。
その仕掛けになり得るものがコンセプトではないかと。
コンセプト自体が悪さをして、表現する人の自由な発想を奪い、結果、とてもつまらない作品に小さくまとめてしまうことが、いろいろな表現分野でよく見られる気がします。

誰かに自分の作り出した表現を理解してもらうのが目的なのか、
それとも表現をすること自体が目的なのか。

個人的には、その成果が、名作だろうが、駄作だろうが、
表現すること自体を目的とした作品を鑑賞したいよなぁと思うのです。
そんなことを思いながら、ダラダラとスガシカオの新作を聞く土曜日の夜。

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