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April 22, 2017

戯言

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翻訳という仕事に興味があり、ここ数年、翻訳家の方のイベントに足を運んでいる。
純粋に文学を楽しむというのが最大の理由。
でも、それとは別に、翻訳に興味を持っているのは、
すでに成立している作品を別の言葉に置き換えて、
作品として成立させるという一連の所作が、なんとなく写真と似ているような気がするからだ。
語彙や言葉の紡ぎ方、その国への文化への深い造詣などが翻訳家の技術だとしたら、
写真家は何を備えていたらいいのだろう。
既に作品として成立しているものを、自身の技術で再構築していく。
その術がとても興味深い。
先日、ポールオースターというアメリカの作家の回想録が翻訳された。
それに伴って、翻訳家の柴田元幸さんと同志社大の藤井光准教授のトークイベントが開催された。
今の多くの若者はSNSで自身を外界と共有する。
自身の存在を世の中に「広める」方向で共有している。
「共有」というと、双方向のイメージになるような気がするので、
英語の「share」という方がしっくり来るかもしれない。
一方、オースターは、自分と外界に既にある物や人との関係性を発見し、それを黙々と深めていく。
ある種の世界との共有なのだけれど、それはどちらかというと「内向き」なもの。
その発見の繰り返しを自身の糧とし、
これまで幾つもの作品を発表してきたとのこと。
この回想録を糧としたのかどうかはわからないが、
既にアメリカでは新作が発表されていて、それがかなりのボリュームで素晴らしい完成度だそうだ。
翻訳されたら是非読んでみたい。
回想録や自分の経験を糧に作品を作り上げるというオースターの作風から推測するに、
彼自身に何かを発表したいという確固たる信念があるというよりも、
生活における周辺の世界との関わりの中にも十分に、
自身の作品とする題材があるのだという思いがありそうだ。
生活の中の些細なことを紡いでいく、そんな写真の撮り方があってもいいんだよなと、
少しばかり背中を押してもらえたような気がした。

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