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June 17, 2017

lost in picturization?

05somethinginvisible_

写真展の準備で東京を右往左往する間に、
翻訳家の柴田元幸さんのトークイベントを拝聴。

ある言語で成立している作品を、
別の言語に「翻訳」し、その作品を伝えるというフローが
実際に成立している風景を、「カメラ」を使って切り取り、
それを写真として成立させるというフローが似ていると感じてから、
折を見て、大きい図体を小さくして、後ろの方で拝聴させていただいている。

既に価値のあるAというものをBというものに変換する際、
そこに人が介在し、ある種のプロセスを経てAと同等のBを作り出す。

そのプロセスに影響を与える人は、どのようなことを考えているのか。
写真家はともかく、翻訳家はどんなことを考えているのか。
言葉というのは本当に繊細で、
一つの単語でさえ、たくさんの意味を持っている。
また、聞き手の理解力に委ねられるケースもある。

宮沢賢治の「アメニモマケズ」の例を紹介してくれた。
・Be not defeated in the rain.
・Strong in the rain.

どちらが、より原文の意に近いのか。
字義どおりの忠実さと詩ごころそのどちらを選ぶべきなのか。
短い時間に想像以上にたくさんの話を伺うことができた。
すぐに写真がどうなるわけでもないし、そのことで写真が変化するものでもない。

記憶に残った件を備忘として。

***
・Poetry is what gets lost in translation.
(詩ごころとは、翻訳においてまさに失われるものである。)
ロバート・フロスト

・誌を訳すというのは、せいぜいが近似値をめざす営みである。・・・字義どおりの忠実さと詩ごころのどちらかを選ばざるをえなくなるたびに、私は迷わず誌ごころを選んだ。単語対単語の正確な対応をめざすよりも、フランス語が読めない読者に、それぞれの詩の詩としての感触を真に伝えることの方が、私には重要に思えたのである。
ポール・オースター

・翻訳は自己の消滅に基づいている。悪い翻訳とは、翻訳者の執拗な声のことである。
ワインバーガー

・翻訳テクストとは、言語的・文化的差異が何らかの形で伝えられる場、文化的他者がいるという実感を読者が何かしら得る場であるべきだ。・・・翻訳者が外国人の書き手と親密な共感を得られるのは、外国語のテクストのなかに自分の声を認識する時だけだからだ。あいにく、言語的にも、文化的にも、解消不能な差異があるのであって、ゆえにこの認識はつねに誤認識でもあらざるをえない。なのに、「こなれた」訳のせいで、この点が翻訳では見えなくなってしまう。
ローレンス・ヴェヌッティ

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