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December 02, 2017

「かちぐみ」

Kashima

「かちぐみ」に親近感を覚える。
と言っても、よく言う「勝ち組」ではない。
江戸時代の藩の職務の「徒士組」もしくは「御徒組」(かちぐみ)のこと。
1800年代前半に編纂された富山藩士由緒書や富山県姓氏家大辞典などを辿り、先祖の出自を辿っている。
それらの書物から推測できるのは小林壱岐守という人物が辿ることができる一番古い先祖ということだ。越中守護の上杉房能の家臣で、おおよそ1500年代前半の人物。
その100年後の1600年代前半、 小林善左衛門という人物が加賀藩給帳という史料に出てくる。1639年に富山藩は加賀藩から分領されて成立したということだから、善左衛門はその過渡期に生きていた。善左衛門は御徒組として富山藩に召し出されている。
件の「御徒組」というのは、殿様が城外に出る際、行列の先を歩いて警備にあたる役回り。
普段は城の門番などを務めることもあったようだ。
いわゆる下級武士。
小林家は以後8代に渡って、恐らく真面目に御徒組を務め上げた。
そして、9代目の小林軍太、10代目の小林市治は与外組という役職を務めている。記録によると江戸屋敷に赴くことが何度かあったらしい。
10代目の小林市治は1800年代前半の人物。
実家にある古い文書は幕末のあたりから明治の初期までのもので、書いているのは小林晋斎という人物。
小林晋斎というのは、自分の曽祖父の親にあたると思われる。
晋斎は神奈川で私塾を開設する。近隣の多くの人々が足を運び、そこで学んだ人物が神奈川における自由民権運動で活躍をした。そのあたりになると、地元である平塚の平塚市史にも記載が出てくる。その頃からつい最近まで、実家は『先生はん』という屋号で呼ばれていた。
晋斎の子である曽祖父は、ものすごく手先の器用な人物だったらしい。自分が子供のころ、近所の年寄りからそんな昔話をよく聞かされた。鳥籠やら傘やらを木や竹で作ったらしい。達筆でもあったらしく、祭の幟や何やらを頼まれて書くことがあったとか。曽祖父が彫ったという、ものすごく精巧な牛の木彫がある。
ぼんやりと繋がってきたような気がするけれど、幾つか飛躍している。
・8代目から9代目の与外組への役職変更の理由
・軍太、市治が江戸に足を運んだ理由。
・市治と晋斎の繋がり。
・江戸詰であったと思われる晋斎が神奈川へ来た理由。
下級武士の出自であるから、先祖を直接的に辿るのは難しい。それでも、実家に眠る古文書はかなりの量。その辺りのヒントが幾つか眠っている気がする。この年末の休みに、腰を据えて調べてみたい。
先日、山本周五郎の「ながい坂」という本を知った。
主人公は御徒組出身の阿部小三郎。
フィクションとはいえ、感情移入せずにはいられない。
写真は我が先祖である小林家の居があった富山市鹿島町の鹿島神社の境内。
大きな樹木の切り株があった。

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