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September 22, 2022

日々雑感

日々雑感など。
個展は丸3日が終わり、中盤に差し掛かろうというところ。明日も天候があやしいのだけれど、今のところは在廊の予定。
丸3日のうち、1日と少し在廊した中で、いくつか感想をいただいた。
一番いただくのは「難しいですね」という感想。
それでよいと思っている。
わかりやすい表現にすると、失われてしまう情報が幾つもある。消費されるだけの作品にしたくはない。じっくり見てもらいたい。
鷲田清一
「わかりやすいはわかりにくい」より抜粋
このように、政治、ケア、描画のいずれにおいても、一番大事なことは、すでにわかっていることで勝負するのではなく、むしろわからないことのうちに重要なことが潜んでいて、そしてそのわからないもの、正解がないものに、わからないまま、正解がないまま、いかに正確に対処するかということなのである。そう言う頭の使い方をしなければならないのが私たちのリアルな社会であるのに、多くのひとはそれとは反対方向に殺到する。わかりやすい言葉、わかりやすい説明を求める。
写真は、無名の風景に、「ある種の意味を与えてしまう」「ある種の定義してしまう」力がある。
この力には暴力性が含まれていると言える。
歴史を遡れば、写真が捏造され、本意でない意味、真実とはかけ離れた意味を持たされることがあった。
それは写真という表現手段に、「多義性」「曖昧さ」という性質があるためだろう。
写真家は、この写真の「寄る方なさ」をしっかりと認識し、引き受けるべきなのだ。
それを引き受けた上で、出来ることはどのような表現なのか、どんな文脈を示すことができるのかを悩むべきだろう。
とはいえ、言葉で説明できるようなことをやっても面白くない。
要は写真で勝負なのだ。
西脇順三郎の詩集「あむばるわりあ」の詩情に
「一定の関係のもとに定まれる経験の世界である人生の関係の組織を切断したり、位置を転換したり、また関係を構成してゐる要素の或るものを取去ったり、また新しい要素を加へることによりて、この経験の世界に一大変化を与へる」とある。
「経験の世界に一大変化を与える」ことで生まれる力を読み取る感性が欲しい。そうそう簡単なことではない。
これからも写真やことばに真摯でありたい。
明日、天気が落ち着きますように。
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