January 01, 2020

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(写真展開催)

海外の写真サイト「LensCulture」にて作品を公開しています。

特集記事
Ways of Seeing: On the Streets or from Your Kitchen Window(written by Jim Casper)


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(ホームページ)
Hajime Inomata Photography

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May 22, 2017

Modelo Manuel Ramirez / Tetsuo Kurosawa

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クラシックギターを趣味にして1年が経った。
趣味があるのはいいものです。

写真は趣味じゃないのか?
という話になりますが、アマチュア写真家とかプロ写真家とか、せせこましく、実りのない話になりそうなんで、置いておくことにします。

学生の頃、10年くらいエレキギターをやっていたので
そのうちに、それなりに、
うまくなるだろうと思っていたけれど、いろいろと勝手が違った。
難しい。。。
年齢的な問題や練習に当てることができる絶対的な時間もあるので
若い頃とは比較したくないのですが。
でも、とても難しい。。。

しかし、趣味があると、生活にハリが出てよいですね。
できないものが少しずつできるようになるという
小さな達成感の積み重ねが精神的によいのかもしれないです。

一年前、続くかどうかもアレだったので、
うちの父が40年以上前に買ったギターを実家からレンタル。
父はそのギターでアルハンブラ等々やっていたらしいのですが、
仕事で右手薬指の爪を根元から痛めてしまい、
トレモロができなくなってしまったため、
ギターはあまり弾かなくなってしまったとのこと。

もう少しうまくなったらギターを買いたい。
そのためには、耳を肥やさなくてはと、
いろいろな機会に試奏・・・
とかいうと、耳障りがよすぎるので、「試し鳴らし」をさせてもらっていた。
この一年間でかなりの数のギターを試し鳴らした。
おかげで相当な耳年増になった。

そんな耳年増の記憶に残った一本があった。
昨年の夏、黒澤哲郎さんというギター製作家のギターを
ギター教室で鳴らしたときの衝撃。
耳から脳に抜けるようなパキッとした高音。空間全体に響き渡る中低音のふくよかな音質。
驚いたのは、ギターのボディーの共振。
まるで生き物を抱えているようだった。
父のギターが悪いわけではないけれども、
ギターってこういうものなのかと、初めて知ったのだった。

その衝撃を忘れられないまま、約一年。
試し鳴らしにお付き合いいただいた教室の先生の紹介で
写真のギターを試し鳴らしする機会に恵まれた。
ギターは個体によって音が全く違うことは、この一年の試し鳴らしで身を持って学んだ。
だから、同じ製作家の方のものとはいえ・・・・という疑念を持って、鳴らした。

中低音のふくよかさ、タッチに応じて響きが変わる高音。。。

これは・・・と思い、一大決心。
帰宅後、早々に家族会議に図る。そして急遽、家人にもギターの試し鳴らしに立ち会ってもらった。
高校までピアノ、今はチェロをやっている家人の耳にも、このギターの音を体感してもらった。
そして、とうとう。我が家にやってくることになった。

このギター。黒澤哲郎さんが制作したマヌエル・ラミレスモデルというもの。
歴史に残る優れたギター製作家の一人であるマヌエル・ラミレスが
1912年に制作したモデルを、黒澤さんが研究、ベースにし制作したものだそうだ。

さて、マヌエル・ラミレス。
スペインのサラゴサの生まれで、
兄のホセ・ラミレス1世のもとでギター制作を学び独立。
その後、マドリッドで工房を立ち上げた。
歴史的な製作家であるアントニオ・デ・トーレスの影響を強く受けたとのこと。
少しググると、兄のホセと弟のマヌエルはギター制作の方針でぶつかってしまったらしく、
果てに仲違いしてしまったなんて話もネットには出てくる。

さらに、このマヌエル・ラミレスのギターには逸話がある。
まだ無名のクラシックギターの演奏家だったアンドレス・セゴビアの
素晴らしい演奏をマヌエル・ラミレスがたまたま耳にした。
その演奏があまりにも素晴らしかったので、
自身の制作したギターを貸し与えたのだそうだ。
以後、セゴビアは歴史に残るクラシックギター演奏家になり、
彼が演奏をすればするほど、
スペインのラミレスのギターが世界中で知られるようになったのだそうだ。

じっくり眺めてみると、楽器というより、むしろ美術品の域。
木目とか、ヘッドとか、細工とか。
ギターなんて全て同じと思いきや、
そうではなく、製作者やモデルによって、全く異なるものなのです。
この黒澤さんのギターは自分の好みのど真ん中。
端正でありながら、ギターらしい、力強い佇まい。
上から下から、いろいろと眺めていたら、1時間過ぎていた。

できれば、素晴らしい演奏をして、名工から楽器を手にしたかったけど、
それは叶わなかった。

兎にも角にも、条件は揃った。
演奏が下手なのは楽器のせいにはできなくなった。
腕を磨かなければ。。。

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May 14, 2017

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家人の先祖と自分の先祖が
顔見知りだったかもしれないという話題が冷めやらぬ我が家。
この週末にまたおもしろい話があった。
しばらく入院することになった伯母。
出掛けに書を床の間に掛けた。
その書は隠元禅師が開いた黄檗山萬福寺の何代目かの御住職が書いたもの。
手術の無事と着実な回復を思い、幾つかある書の中から選んだそうだ。
無事手術を終えて数日後、病室で同室の方の苗字が先の御住職と同じであることを知る。
まさかとは思いながら、関係がないか話をしてみると、その御住職と親戚付き合いがあるという。
世の中、至る所に偶然が転がっている。
先日、翻訳家の方のトークイベントに家人と参加した。
青山一丁目にある本屋の二階で開催され、イベント後に懇親会があった。
家人に話しかけてくれた女性。有名なオーケストラのバイオリニストだった。
その方の娘さんが本屋さんの娘さんと同じ幼稚園だったそうだ。
そんな方と懇意にお話しできるなんて、それだけでもかなりの驚き。
知らなかったのだけれど、どうもその本屋さんは、
世界的な日本の指揮者もちょこっと立ち寄るような場所らしい。
そして、有名なイラストレーターの方がワークショップを立ち上げた場所でもあるらしい。
で、うちの家人、手前味噌になってしまうのだけど、かなりイラストが上手い。
先の伯母の見舞いに行った際にも、
着物が着れたらいいとか、俳句を書いたらいいとか、
人生のアドバイスをいろいろと頂いたらしいのだけれど、
最終的に、先ずは「イラストを書き溜めてみなさい。」ということになったそうだ。
自分の家人への今年の誕生日プレゼントは、
スケッチブックと水彩色鉛筆。
家人から、肌色がないからどうしても筆が進まないのよとの話。
数日中に肌色の色鉛筆を買いたいと思う。
もしかしたら、創作意欲に火がついて、売れっ子イラストレーターなんかになってくれるかもしれない。
肌色の色鉛筆くらい幾らでもない。
世の中、至る所に偶然が転がっているはず!

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May 06, 2017

ルーツ

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家人の曾祖母が富山の生まれだったそうで、
つい先日、義父と義母がそのルーツを辿ったとのこと。
幕末から明治のあたり、家人の曾祖母の家は大きな染物屋さんで
庭に神通川の水を引き込んだりするかなり大きな家だったそうだ。
祖母の年齢から遡ると、
曾祖母は1800年代の後半に富山で生活していたと思われる。
仔細は割愛するけれども、その道中での体験談は感動的なもの。
その話を自分の実家でしていると、
うちの遠い祖先は富山の出身だと言われる。
確かに昔、そんな話を聞いた気がしていたけど、
すっかり勘違いしていた。
新潟出身じゃなかった。
どうやら、富山の武士の三男坊とのこと。
富山藩士だった三男坊は、江戸に遣わされ働いていたらしい。
実家の古い墓石にも、江戸幕府云々という字が刻まれていたから、
先祖にそんな人がいることはなんとなく知ってはいた。
で、ちょうど幕末あたり、どんな経緯かはわからないのだけど、
神奈川県平塚市の実家のある地域で寺子屋を作ることになり、
その三男坊が江戸から師範として招かれ、地縁となったのだそうだ。
その寺子屋が自分の通った小学校の前身となっている。
大方の話は聞いたことがあったが、
父がどこかから「先祖之書」という古い文書を引っ張り出してきた。
「先祖之書」というのは、武士が士官する際に持たされた
現在でいう履歴書のようなものらしい。
ただ、どの程度の精度のものなのかは分からない。
読める字を見ると、桓武天皇だとか、葛原親王だとか見える。。。
書いてあるとおり、葛原親王の28代末裔だとしても、相当薄まっているはず。
書く必要なさそうだけども、書くと書かないとでは、
士官するにあたり、それなりに何か違ったのかもしれない。
実家にはその三男坊が、富山の本家とやり取りした手紙が多数残っている。
ただ、あまりに達筆すぎて読めない。
そして話は戻るのだけど、
もしかしたら、うちの先祖の一族と、家人の先祖の一族は
富山のどこかで接点があったかもしれない。
うちの先祖の手紙にあった住所を現在の地図で探してみる。
家人の曾祖母の住所と見比べる。
どうも、二つの家は2キロ程度しか離れていなかったようだ。
二つの家の間には富山城がある。
城下町で両家の先祖が行き交わしていたとしたらなんだか不思議だ。
なんとかして、もう少し調べたい。。。
字が読めない。。。
そんなこどもの日。

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April 29, 2017

雲無心出岫:

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本日の午後、煎茶道の家元の伯母の家にて勉強会。
なんとかして今日の記憶を頭にとどめなければ。。。
以下、備忘の為のメモ。

***
「雲無心出岫」は、中国は晋の時代の詩人、
陶淵明の「帰去来辞」の一節。
役人を辞して郷里に戻り隠遁生活を送ろうとしている陶淵明の晴れやかな気持ちを記したもの。
この一節は多くの文人に好まれ、三渓園を作った原三渓の書を、伯母が所有している。
また、江戸時代に煎茶に造詣の深かった文人、
田能村竹田の代表作「亦復一楽帖」の第一頁の風景画にも引用されている。
一枚目の写真。
✳︎
煎茶の席で掛けられる書画は、文人書画が用いられる。
文人書画とは単に文芸、学芸に秀でた人の作というわけではなく、
漢文学的芸術と関わっているものかどうかが重要。
文人画の発生は中国の唐、宋の時代。
士大夫といわれる政府の高官や学者などの文人が描いた画は、
専門画工の写実な画に対し、主観の強い個性的なものであった。
その画は、強調、風刺、批判、諧謔を含んだもので、この系譜に属する絵画を文人画という。

与謝蕪村と池大雅の合作による「十便十宜帖」は、
下郷学海という人物が、両者に各10葉づつ小景山水の画を描かせ所蔵したもの。
大雅は金銭に頓着せず、蕪村も常に貧しかった。
いずれも、漢文学に造詣が深く、煎茶の席でその書画が好まれる。
昭和の初期に大塚工芸舎が作成した複製本を見る。
上の写真が池大雅。
下の写真が与謝蕪村。
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April 26, 2017

If I wasn't hard,

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If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

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April 22, 2017

戯言

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翻訳という仕事に興味があり、ここ数年、翻訳家の方のイベントに足を運んでいる。
純粋に文学を楽しむというのが最大の理由。
でも、それとは別に、翻訳に興味を持っているのは、
すでに成立している作品を別の言葉に置き換えて、
作品として成立させるという一連の所作が、なんとなく写真と似ているような気がするからだ。
語彙や言葉の紡ぎ方、その国への文化への深い造詣などが翻訳家の技術だとしたら、
写真家は何を備えていたらいいのだろう。
既に作品として成立しているものを、自身の技術で再構築していく。
その術がとても興味深い。
先日、ポールオースターというアメリカの作家の回想録が翻訳された。
それに伴って、翻訳家の柴田元幸さんと同志社大の藤井光准教授のトークイベントが開催された。
今の多くの若者はSNSで自身を外界と共有する。
自身の存在を世の中に「広める」方向で共有している。
「共有」というと、双方向のイメージになるような気がするので、
英語の「share」という方がしっくり来るかもしれない。
一方、オースターは、自分と外界に既にある物や人との関係性を発見し、それを黙々と深めていく。
ある種の世界との共有なのだけれど、それはどちらかというと「内向き」なもの。
その発見の繰り返しを自身の糧とし、
これまで幾つもの作品を発表してきたとのこと。
この回想録を糧としたのかどうかはわからないが、
既にアメリカでは新作が発表されていて、それがかなりのボリュームで素晴らしい完成度だそうだ。
翻訳されたら是非読んでみたい。
回想録や自分の経験を糧に作品を作り上げるというオースターの作風から推測するに、
彼自身に何かを発表したいという確固たる信念があるというよりも、
生活における周辺の世界との関わりの中にも十分に、
自身の作品とする題材があるのだという思いがありそうだ。
生活の中の些細なことを紡いでいく、そんな写真の撮り方があってもいいんだよなと、
少しばかり背中を押してもらえたような気がした。

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April 18, 2017

野菜について

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カレーを作った。
この前の週末に実家に帰った時にもらった新たまねぎを三つ使った。
みじん切りにして二つ。形を残して一つ。

実家の周辺の野菜はどうも美味かったらしい。
近所に野菜を作る人が多く、何かといえば、貰い物の野菜が食卓に上がっていた。
そんなわけで、野菜が美味いと思う感覚を持ち合わせずに生活してきた。
美味いのが当たり前だったから。
ところが数年前、スーパーで買った野菜があまり美味くないということに気がついた。
もちろん、全てではないのだけれど、美味くない確率が高い。
美味い野菜は何かを考えて野菜を見ていると、季節の変化に敏感になる。
スーパーにはトマトが並びだした。
でも、まだトマトは早い気がする。
もう少し、春は続く。

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April 16, 2017

イトヒバの時間

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今日は祖母の命日だったので、実家へ墓参りに出かけた。
37年前に63歳で亡くなった祖母は、連れ合いを若い頃に亡くし、3人の子を一人で育てた苦労の人。
そのうちの一人が自分の父。
父は家庭のことを考え、進学をせず、中学を出て45年働き、3人の子を育てた。
そのうちの一人が自分ということになる。
実家にはイトヒバの木がある。
イトヒバの木は成長が著しく遅い。
改めて、通りに面した8メートルの高さに育ったイトヒバの木を下から眺めた。
小さいころに記憶していた大きさと数センチも変わっていないような気がする。
37年も過ぎた割には幾らも木は成長していない。
近所に住む親友たちと久しぶりに昔話に花を咲かせた。
親友たちとのこれまでの月日を思い出すと
それくらいは過ぎたかなという気がしないでもない。
どこかの家の桜の花びらがイトヒバの木の下にある側溝に吹き溜まっていた。
小さいころにもそんな様子を見た気がする。
イトヒバの木の下に立つと、時間の感覚がおかしくなる。

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April 02, 2017

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